国防の本義と其強化の提唱

このパンフレットは「陸軍パンフレット」と称され、これをめぐる騒動は「陸軍パンフレット事件」と言われている。

概要[編集]

原案は、いずれも東京帝国大学への派遣学生であった池田純久（当時少佐・経済学部）、四方諒二（当時少佐・法学部）らによって作成され、鈴木貞一班長を中心とした新聞班の検討を経たのち、永田鉄山軍務局長の承認、林銑十郎陸軍大臣の決裁を得て発行された。内容は北一輝の『日本改造法案大綱』をより具体化したようなものであった。

同パンフレットの内容は陸軍主導による社会主義国家創立・計画経済採用の提唱であったため多くの論議を呼んだ。軍事ファシズム体制を主張するものであった [1]。

作成に関与したのは統制派に属する将校たちだったが、当時対立していた皇道派も表立っては反対しなかった。皇道派は行き過ぎた管理経済は共産主義的であるとして反対していたが、軍国主義体制の樹立については異論はなかった。

政党政治家は強い反対を唱え、議会では陸軍大臣が追及されたが、「国民の一部のみが経済上の利益特に不労所得を享有し、国民の大部が塗炭の苦しみを嘗め、延ては階級的対立を生ずる如き事実ありとせば、一般国策上は勿論国防上の見地よりして看過し得ざる問題である」といった見地に立った統制経済の提唱に対しては，革新系の中野正剛や赤松克麿は賛意を表明し、なかでも社会大衆党の書記長麻生久は「パンフレットに沿って進まないものは、社会改革活動の落伍者である」との熱烈な賛辞をおくった。

批判は美濃部達吉らからも起こり、雑誌「中央公論」11月号は「陸軍国策の総批判」という特集を組んだ。美濃部は「陸軍発表の国防論を読む」という論文で「国家既定の方針を無視し、真に挙国一致の聖趣にも違背す」と批判した。美濃部は陸軍の怨嗟を受け、すぐに天皇機関説問題として糾弾されることとなった。

影響・評価[編集]

パブリックコメント[編集]

同冊子には巻末に私製はがきが添付され、意見を書いて陸軍省に送付できるようになっており、意見を国民に提起して民意を問うという一種のパブリックコメントの形態をとっており、当時の政府・政党としては異例・斬新であったために衆目をあつめた。実際、はがき等で送付された意見は『「国防の本義と其強化の提唱」に対する評論集』として翌年出版された。

同種のものとの相違[編集]

陸軍は1931年（昭和6年）9月の満州事変以降、その正当性を国民に宣伝するために1931年には18種、1932年には37種、1933年には33種を発行している。しかし、「国防の本義と其強化の提唱」は軍部が初めて思想・経済問題に言及し、しかも政治介入を公然と表明した点が大きな相違点である。

新聞宣伝[編集]

陸軍はこのパンレットの発行前に各新聞社に大々的な報道を要請していたため、大きな反響を生んだ。このとき、「朝日新聞」は掲載をしなかったため、陸軍からにらまれた。

神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫軍事(国防)(34-105)
満州日報 1934.10.8-1934.10.21 (昭和9)

国防の本義と其強化の提唱

(一) 国防観念の再検討 (陸軍パンフレット全文)

陸軍省新聞班から発表して衝撃を与えた「国防の本義と其強化の提唱」と題するパンフレットの全文左の如くである

たたかいの意義

たたかいは創造の父、文化の母である。試練の個人における、競争の国家における、斉く夫々の生命の生成発展、文化創造の動機であり刺戟である。茲に謂うたたかいは人々相剋し、国々相食む、容赦なき兇兵乃至暴殄ではない。此の意味のたたかいは覇道、野望に伴う必然の帰結であり、万有に生命を認め、其の限りなき生成化育に参じ、発展向上に与ることを天与の使命と確信する我が民族、我が国家の断じて取らぬ所である。此の正義の追求、創造の努力を妨げんとする野望、覇道の障碍を駕御馴致して遂に柔和忍辱の和魂に化成し、蕩々坦々の皇道に合体せしむることが、皇国に与えられた使命であり、皇軍の負担すべき重責である。たたかいをして此の域にまで導かしむるもの、これ即ち我が国防の使命である。「国防」は国家生成発展の基本的活力の作用である。従って国家の全活力を最大限度に発揚せしむる如く、国家及び社会を組織し、運営することが、国防国策の眼目でなければならぬ。

国防観念の変遷

右は近代国防の観点より観たる国防の意議である。抑々国防なる観念は、往昔の国防観念即ち軍備なる思想より、今日の新国防観念に至る間に三種の段階を経て居る。即ち

一、世界大戦以前に於ては、国防は専ら軍備を主体とし、武力戦を対象とする極めて狭義のものであった。従って戦争は軍隊の専任する所であり、国民は之に対し所謂銃後の後援を与えるという意味に於て、国防に参与するに過ぎなかったのである。
二、然るに学術技術の異常なる発達と、国際関係の複雑化とは、必然的に戦争の規模を拡大せしめ、武力戦は単独に行わるることなく、外交、経済、思想戦等の部門と同時に又は前後して併行的に展開されることとなった従って右の要素を戦争目的の為め統制し、平時より戦争指導体系を準備することが、戦勝の為め不可欠の問題たるに至った。大戦後盛んに唱道せられた所謂武力戦を基調とする国家総動員なる思想がこれに属する。これによって国民と軍隊とは一隊となって武力戦争に参与することとなったのである。最近漸く皇国識者間に認められつつある国防観念は此種類に属する。
三、然るに右の国防観念は更に再検を要するに至った。

輓近、世界大戦の結果として生じた世界的経済不況並に国際関係の乱脈は遂に政治、経済的に国家間のブロック的対立関係を生じ、今や国際生存競争は白熱状態を現出しつつある。深刻なる経済戦、思想戦等は、平時状態に於て、既に随所に展開せられ、対外的には国家の全活力を綜合統制するにあらずんば、武力戦は愚、遂に国際競争其物の落伍者たるの外なき事態となりつつある。従って国防観念にも大なる変革を来し、従来の武力戦争本位の観念から脱却して新なる思想に発足せねばならなくなった。

国家生活の二面

凡そ国家生活は之を二個の観点より考えることが出来る。即ち

一、国家の平和的生活
二、国家の競争的生活　

国家生活を斯く見る場合、国防との関係は如何に考察すればよいか之を諒解し易からしめんが為個人生活と比較して見よう。個人生活に於ても国家の場合と同様に平和的一面と競争的一面とがある。而して近代国家内に於ける個人の平和的生活は、道徳及法律の規範性と制裁力とによって或程度には調和維持されて居る。之に反し其競争的生活は右の如く他力本願で保障することは出来ない。自らの運命は自ら開拓せねばならぬ。即ち各個人の体力、気力、智力の綜合的発顕によって遂行し保障することになるのである。
右は個人生活の両面に就て述べたのであるが、国家の場合は如何であるか。国家の平和的生活に於ても、国際道徳というものが存在して居るが、然し個人の場合の如く厳格でない。又国際法規はあるが之を強制すべき超国家的勢力はない。即ち国家の平和的生活を保障すべき機関に至っては、遺憾ながら皆無であって、自らの生存は自ら保障するの外ないのである。世界大戦後、国際連盟は右の目的を達成すべく創設せられたのであるが、漸次其の無力を暴露し、斯かる方法による国際平和の維持が、一の迷夢に過ぎない事が万人に認めらるるに至った。
右の如く国家の平和的生活すら他力によって保障せらるるを得ない況んや、其の競争的生活たる国際的生存競争に於てをやである。即ち個人の場合は体力、気力、智力の綜合的実力を必要とした如く、国家の競争的生活遂行の為めには綜合的国力の発動を必要とする。即ち国家生活の真実、善美、的確旺盛なる創造発展を庶幾する為めには、之が推進力たり原動力たる基本的活力、即ち国防力の発現に待たねばならぬ。右の如く国防は単に国家競争の結果発生することあるべき武力戦のみを対象とするものでなく、国家生活の活力たり原動力である。即ち劈頭に掲げた如く、国防とは国家の生成発展の基本的活力の作用である。という考え方が、国際的生活に処する上に於て極めて必要である。就中最近に於ける国際競争の白熱化、即ち国際的争覇戦時代に処し、一方皇国の理想を紹述し、他方激甚なる競争の優者たらんが為め、国防の必要は絶対的第一義的である。
　抑々国防には、絶対性と相対性とがあり、相対性に関する限りに於ては、国際的情勢に適合する必要を生ずべく、絶対性に至っては更改の余地なきや勿論である。言うまでもなく皇国を繞る現下の一般情勢は、列強の重圧下に異常の躍進を必要とするものであり、国防組織強化の喫緊なること有史以来今日の如く大なるはない。皇国の国防的に有する潜勢が、能く非常時局を克服するに足るべきは列強が皇国招来の飛躍に対し如何に大なる脅威を感じつつあるかに徴するも明瞭である。問題は右の潜勢を組織の力によって如何に現勢として発揮せしむるかに存する。
　現在の如き機構を以て窮乏せる大衆を救済し、国民生活の向上を庶幾しつつ非常時局打開に必要なる各般の緊急施設をなし、皇国の前途を保障せんことは至難事に属するであろう。須らく国家全機構を、国際競争の見地より再検討し財政に経済に、外交に政略に、将た国民教化に根本的の樹て直しを断行し、皇国の有する偉大なる精神的、物質的潜勢を国防目的のため組織統制して、これを一元的に運営し、最大限の現勢たらしむる如く努力せねばならぬ。これが同時に皇国の直面せる非常時局克服の対策ともなるのである。
　最近に至り現時の国際的対立を不可避的にあらずと為し、外交手段のみに依って好転せしめ得べしと楽観する向もあるようであるが凡そ国際事情に通暁せざる者の言というべく、国民は斯かる迷想に惑わされぬことが必要である。

国防力発動形式

　凡そ国防力には二個の発動形式がある。即ち

一、静的発動(消極的発動)
二、動的発動(積極的発動)

　□は国家其者の厳然たる威容により、消極的に其の目的を達せんとするもの、即ち孫子の所謂「不戦而屈人之兵善之善者也」である満洲事変当初に於て皇国の綜合国防力の威容が遂に、五年計画建設に忙殺せられありし蘇国をして、遂に為すなからしめ、又我が国力就中我が海軍の厳然たる存在により、スチムソンの恫喝をして竜頭蛇尾に終らしめたことを想起すれば、所謂静的国防の何たるかは容易に理解されるだろう。国防力の静的発動は「威力の睨み」なるが故に、其の基礎たり実体たるものは、陸海空の軍備でなければならぬ。
　斯くの如く観じ来れば、何故に米が日本に優越せる海軍力の獲得保持を熱望し、蘇が世界一の陸軍を完成せんと焦慮するかが首肯されるであろう。即ち、米の大海軍保持の要望は、自身のモンロー主義並に支那に於ける門戸開放、機会均等主義を支持主張せんが為めである。就中極東問題の外交的発言権を獲得せんが為めには、皇国海軍を圧迫するに足る海軍力が彼に取って必要であり、わが立場よりすれば、東亜平和の招来維持の大任を全うせんが為めには、之を阻止せんとする何者をも破摧するに足る海軍力を絶対に必要とする
　蘇国が尨大なる赤軍を有することは、彼の世界赤化政策遂行の支援の為めである。而も最近に於て其国防対象が我が日本に在る以上皇国としては、彼の極東政策と赤化政策とを抑圧破摧するに足る、国防力充実の必要なるは呶説を待たない所である。

国防の動的発動

　次に国防力の動的発動とは即ち実行行使の請いである。国防力が其静的状態に於て、目的を達成せざる場合、即ち国防力の厳然たる存在其物により其目的を達せず、先方より挑戦し来る場合には、必然的に其動的状態即ち戦争を招来する。戦争とし謂えば直に武力戦を想起する。勿論武力戦は戦争の骨幹である。併しながら既に述べた通り近代戦争は、武力単独戦を以て終始し得る如き単純なるものでなく、敵国を徹底的に圧伏粉砕せんが為めには、之が全生活力を中断するを要する。
　是に於てか戦争手段としての経済戦、政略戦、思想戦は武力戦に匹敵すべき重大なる役割を演ずべきである。ドイツ国は何が故に敗北したか。勿論武力戦に於ても最後には敗れて居る。が然し観方によっては武力戦に関する限り、彼は最後まで戦捷者の地位に在ったとも謂える。五年の久しきに亘り連合国側をして一歩も国内に入らしめず、自力独往、善戦健闘を続け来った点は真に驚歎に値するものがあったではないか。
　彼の没落は畢竟列強の経済封鎖に堪え得ず、国民は栄養不良に陥り、抗争力戦の気力衰え、加うるに思想戦による国民の戦意喪失、革命思想の擡頭等となれることに由来し、かくて遂に内部的に自壊作用を起して、急遽和を乞うの已むなきに至ったのである。
　此くの如く国防の動的威力の全幅的発揮の為めには、国防の全要素を不可分の一体として組織統制することが絶対に必要である。それは列国の夙に着眼し、之が準備完成に焦慮努力しつつある所である。斯るが故に将来戦の勝敗は一に繋って国防の為めの組織如何に在ると謂うべく、更に要約切言すれば、近代戦争は組織能力の抗争だということになる。

国防の自主

　国防の目的、国防の本質は右の如くである。之を一言にして掩えば、国家生成発展の基本的活力である。従って国の大小、貧富によって、絶対的国防の規模、内容に差等を附することを強要し、又強要せらるることの不当なるは云うまでもない。即ち国防権の自主独立は動かすべからざる天下の公理である。而して従来国際条約等によって軍備を制限乃至禁止せんとせしが如きは、平和主義に名を借りて、強国が自国の国防の優越を贏得せんが為めの策謀に外ならざることは、史実の明証する所であって如何なる国際主義者と雖も此の事実を否定することは出来まい。
　前述の如く国防の静的目的は戦争を未然に防止するに在る。法の極致は法なき状態を導くに在る如く、兵の極致は兵を用いざるに在る。即ち国防をして其の静的発動に止まらしむるを得れば、上の上なるものである。世界に於ける最終の戦争なりと思惟し、又庶幾せし世界大戦後、如何に多くの戦争が勃発したか又最近の墺国動乱が一歩を過てば、直に第二の世界大戦となる素因と可能とを包蔵する如き、欧洲新国境の不合理性植民地領有の偏頗不当、人種的偏見、経済財政的破綻、貿易乃至関税戦等の事実を挙げ来れば、戦争の可避、不可避の問題の如きは論議の余地のない所である。現下の世界の情勢と我が国際的立場とは今や国防は観念遊戯の域を脱し、国民の全関心全努力の傾注さるべき、焦眉喫緊の作業たることを要求して居る。
国防の要素は、凡そ国家を構成する凡ての要素を包含する。而して便宜上之を分類し人的要素、自然要素及び混合要素の三者とする。

(其一) 人的要素

　人的要素は、国防力構成要素中第一義的重要性を有するものである。而して人的要素が精神力と体力との合成せるものなることは茲に説明するまでもないことである而して、国際生存競争場裏に於ては正義の維持遂行に対する熱烈なる意識と、必勝の信念とが人的要素の主体を為すべきである。「勝利は正しき者と、勝たんと意志する者とにのみ与えらる」とは凡そ兵を語るものの信条とする所、国家間の競争に於ても此の原則の適用せらるべきは勿論である。

人的要素の培養

　然らば右の要素は如何にして培養するか。

(1)建国の理想、皇国の使命に対する確乎たる信念を保持すること。誤まれる人生観、国家観乃至は哲学、宗教、芸術等に基く現時の世界苦を除き、更生の光を与うべき、皇国現下の重責に目醒め、之が徹底的、把握実現を庶幾せんとするの心を養うこと。
(2)尽忠報国の精神に徹底し、国家の生成発展の為め、自己滅却の精神を涵養すること。国家を無視する国際主義、個人主義自由主義思想を芟除し、真に挙国一致の精神に統一すること。茲に一般の注意を喚起せんと欲するは、列強は今や宣伝工作の秘術を尽して、前述の如き非国家的思想を普及瀰漫せしめ、或は国体の改変を企図し、軍民離間を策し、祖国敗戦を謀る等の方法により国際競争を忌避し、戦意を抛棄せしめ、以て最後の勝利を求めんとする、思想戦的謀略を常用しつつあることである。従って後に述べんとする、国防目的の為めの国家組織の改善と共に、国民の精神統制即ち思想戦体系の整備は、国防上一刻も猶予遅滞を許さぬ重要な政策なのである。
(3)健全なる精神は健全なる身体に宿る。就中武力戦の主体を為す兵員を補充すべき国民の体育を重視することは言を俟たぬ所である。深刻なる国際文化競争の闘士として内外に活躍せんが為めにも、戦時遭遇することあるべき長期の経済封鎖に堪え得んが為めにも、国民保健政策に於て些の遺漏あることを許さぬのである。万一物質文化の余弊により、国民体格の低下を来すが如きことあらば、そは国防上看過し得ざる重大問題である
(4)次に国民が国際競争の戦士として、自己を没却して君国の為め奮闘せんが為めには其生活の安定を必要とし、兵士をして後顧の憂なく戦場に立たしめんが為には、銃後に不安あらしめてはならぬ。そこに国防と一般国策との不可分の関係を見るのである。
既刊の「近代国防より見たるソ連邦」に述べた如く、ソ国の近代国防観念に立脚する国防組織の規模の広大なる、又其着々として実現する実行力に至っては、真に驚歎に値するものがあるが、惜い哉共産主義自体の有する欠陥と、国政の適正ならざる為め生じた国民生活の不安定と、国民の窮乏とは国民的気力を殺ぎ、不平不満は挙国一致的精神を喪失せしめ、延いて必勝の信念涵養の上に大なる禍となりつつある。輓近、皇軍の軍紀、国民精神等を中傷し、或は大和魂恐るべからず等の宣伝によって、志気の振作に努力しつつあるは、上述の消息を遺憾なく物語るものである。
　是に於て結論し得ることは、国民の必勝信念と国家主義精神との培養のためには、国民生活の安定を図るを要し、就中、勤労民の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要なる政策であると云うことである。

人口及民族問題

　精神要素に就ては既に述べた。次に考慮すべきは人的要素としての人口及民族の問題である。人口は今や日本内地にのみで六千五百万、全国で九千二百万、満洲国と共同防衛の場合を考うれば一億二千万に達し、米ソに匹敵する堂々たる世界の大国である。人的要素に関する限りに於ては有利なる状態に在りと謂うべきである。
　次は民族の問題である。ソ国の如きは百八十有余の種族より成り民族間の反目甚だしく、殊に三千万の人口を擁するウクライナ人の如きは機会だにあらば独立せんとの希望に燃えて居る。独国が同化せざる獅子身中の虫たる猶太人に如何に禍いせられたるかはヒットラーの猶太人排斥の徹底せる政策に見るも明瞭である。米国亦各種の民族の混合国家であり、就中一千二百万の黒奴を有することは彼の永久の悩みである。
　国家内の民族を相反目せしめ、独立運動を支援し、母国の崩壊を企図するは、近代戦争に於ける思想戦の重大戦略であることに想到すれば、民族問題は国防国策上軽視すべからざるものである。本件に関しては左記事項に留意を要する。

(イ)民族心理を十分研究し、統治上錯誤なきを要す。
(ロ)皇道精神を徹底せしめ、国家意識の鞏化を図る。
(ハ)敵側の民族的分壊策謀に乗ぜられざる思想的対策を講ずること。

(其二) 自然要素

一、領土
領土の広狭、地勢、可耕面積の広狭、海岸線の延長、国境、隣邦との関係等は国防上重大なる関係を持つ。就中、領土の地理的位置は武力戦は勿論経済的戦争に於て極めて重要なる価値を持つものである。皇国が東亜の外廓とも称すべき位置に在ることが、戦略的には勿論、政治的に東亜平和の守護者たるの、天賦の使命を有するに至らしめた一の素因である。
　世界全人口の半を超ゆる十一億に人口を抱擁する地方に位置し、世界の宝庫の称ある支那、印度南洋を指呼の間に見、之を連絡するに交通自在の海洋を以てせることが、如何に皇国将来の経済発展を有利ならしめているか。
　皇国が海洋に囲繞せられあることは、国防上極めて重要なる利点なると共に、他面一国の運命を制海権の得喪に託するの危険性をも包含するものである。蘇満国境を介して強大なる軍備を有する蘇国と対し、太平洋を隔てて世界最大を誇る米国海軍の存在することは、皇国軍備の上に重大なる関係を持つ。
　殊に輓近航空の発達と共に行動半径千五百粁以上に及ぶ優秀なる爆撃機出現するに及び、海洋よりは航空母艦に対し、又陸上よりは浦塩、上海、フィリッピン、カムチャッカ、アリューシャン等の各方面に対し、国土上空を暴露するに至った。強力なる航空兵力を速かに整備するの必要もそこから生れて来る。
二、資源
武力戦の場合の戦用資源の充実と補給の施設とを考慮すると共に、経済戦対策としての資源の獲得、経済封鎖に応ずる諸準備に於て遺憾なきを期するを要する。資源に於て考慮すべき件は

イ　資源の調査
ロ　戦用資源の蓄積
ハ　資源の培養
ニ　資源開発

等であろう。

(其三) 混合要望

一、経済
戦争の要素としての経済、否戦争方式としての経済戦が、重要なる役割を演ずるに至ったのは、主として世界大戦以来のことに属する。況んや本篇に説く所の国防は平時の生存競争たる戦争をも包含せしめんとするものであり、其の主体は殆ど経済戦であると見ることも出来る位である。従って経済が国防の極めて重要なる部門を占むるの点に就ては、論議の余地はあるまい。
　経済戦略に就ては専門家に譲ることとし茲に詳述を避ける。原則として対外的には自由貿易によるべきであるが、現下の如くブロック対立の時代であり、列国競うて保護貿易を採用し来れる場合には之に応酬するの対策を講ずるは已むを得ない所である。
　之が為め相互的に輸出入統制を行い、価格及数量に或種の制限を附し、対手国に於て無法なる関税政策或は輸入割当制の如き方法を採るに於ては、我亦報復手段を採用するの已むなきに至るであろう。
　全世界の大部分を占むる消費者階級たる大衆の利益のためには、優良品を廉価に提供するを善しとする。この見地に於て生活程度比較的低き我が国の如き新興国家は、大なる便宜を有するに反し、英国、和蘭の如き老成国は甚だしく不利なる条件下に置かれる。彼等は英人、蘭人の如き少数支配民族の利益のため、世界大衆たる植民地の有色人種に、高価なる物品を購買せしめんとするもので、明かに道義に背馳して居る。之に反し皇国の立場は世界大衆の利益に一致するものであり、道義的見地から見ると最後の勝利を得べきことは疑いを容れない。
　万一彼等が飽くまで不正競争を継続するに於ては、皇国としては場合に依っては破邪顕正の手段として、武力に訴うることあるも亦已むを得ない所であろう。
　経済を対内的見地に於て見る場合は、武力戦その他の国防力を維持培養するの任務を有して居る。此見地よりして精神要素と共に頗る重要の役割を演ずべきものである。
　国民生活を維持向上せしめつつ真に必要なる国防力を充実せんがためには、尨大なる経費を要し、右の負担に堪え得る如き経済機構の整備は、現在の如き非常時局に於ては当然第一に考慮せらるべき問題である。
　日満提携により、今や資源に於ては優に如何なる国際競争にも堪え得るの状態にある。人的要素に於ては、日本のみにて九千万、日満合すれば一億二千万に達し、勤勉世界に比類なき活力を擁して居るのである。この人力と資源とを組織運営し、最大限度の効果を発揮し、以て、来るべき経済戦に備えんとするのが、経済国防の主眼でなくてはならぬ。
二、技術
　科学の進歩は、国家を近接せしめ、往時交戦不可能と考えられた国家間においてすら戦争を可能ならしむるに至った。又戦場と内地との区別を撤廃せしめ、開戦劈頭より国民の頭上に爆弾が落下する世の中となったのである。
　将来戦いは国民全部の戦争であり、両国民の智能の戦争である。開戦当初の新式兵器は直に旧式兵器となる。創造力の大なる国民は将来戦いの勝者たり得る国民である。欧洲戦当初、誰かタンクや毒瓦斯の出現を信じたろう。無線操縦、殺人光線等は今や夢想の時代を過ぎて、実用の時代に入りつつあるではないか。
　以上は武力戦に就て述べたが、経済戦に於ても然り。日本商品の海外飛躍の原因は、円価安にもよるが、技術の優秀も与って力がある、武力戦における如く、経済方面に於ても一層の技術の発達、創意、工風の行われんことを希望する。
　比の見地よりして、科学的研究に於ても、無統制の現況より一歩を進め、合理的、能率的に研究の統制を企図することが、国防の見地よりして望ましいことである。又、発明の国家的奨励を強化し、資金の供給、研究機関の利用、特許制度の改善等緊急焦眉の問題は枚挙に遑なき程である。
三、武力
　武力が国防の基幹をなすことは言うまでもない。而して、本書劈頭に述べたる国防目的達成のためには、海軍に於ては速やかに華府、倫敦条約の不利なる拘束より脱し自主的国防権を獲得し、真に国家の積極的発展を支援し得るに足る兵力を必要とする。陸軍に於ては蘇国の駸々乎たる軍備拡張に鑑み皇国の生命線を確保するに足る兵力を更に充足すると共に、航空兵力の大拡張を即行、諸方の脅威を除去する必要がある。
　民間航空は軍事航空の第二線兵力たるの価値を有するものでありその消長は直に国軍空中勢力の消長に影響を持つ。従って、民間航空の発達は、武力戦の見地よりして極めて重要なる意義を持つものである。
　最後に一言し度きは、国防の基幹たるべき我が武力は、皇道の大義を世界に宣布せんとする、破邪顕正の大乗剣であり、利己的覇道を基調とし、優勝劣敗をのみ念として動く他国の小乗剣に比すべきものでないという点である。
四、通信、情報、宣伝
　通信は武力戦たると文化戦たるとを問わず、極めて重要なる要素である。就中、宣伝戦に於ては、其国の全世界に有する通信、宣伝組織如何が、直ちに戦争の勝敗に重大なる影響を持つ。
　情報、宣伝勤務が戦争に如何なる役割を演ずるかは、彼の世界大戦に於て、独国の宣伝が英仏側の宣伝に圧倒せられ、遂に独国は帝国主義的侵略国なりとの折紙を付けられ、全世界の反感と憎悪とを買い、敗戦の重大なる原因を為したることを想起すれば分る。近くは、満洲事変に於て我が宣伝の拙劣なりし為め、我が正義の主張を十分全世界に徹底せしむるを得ず遂に連盟脱退の余儀なきに至った苦き経験がある。
　思想宣伝戦は刃に血塗らずして対手を圧倒し、国家を崩壊し、敵軍を潰滅せしむる戦争方式である識者にして今尚お茲に着眼する者少きことは真に慨しい次第である
　宣伝の要素たる可きものは、新聞雑誌、通信、パンフレット、講演等の言論及報道機関、ラヂオ、映画其他の娯楽機関、展覧会、博覧会等多々あるが、平時より是等機関の国家的統制を実行し、平時より展開せられある思想戦対策に遺憾なからしめる必要があるのではないか。
(附言)国防要素としては以上列挙した以外に尚お挙ぐべき事項が多々あるが、以下本書に述べんとする内容と直接関係なき要素に就ては記述を省略することにする。

世界的不安と日本

　世界大戦に於ける経済的浪費の決済難と、ヴェルサイユ条約の非合理的処理とに起因して、未曾有の政治、経済的の不均衡、不安定を招来した。大戦に参加せし国も然らざる国も、等しく直接間接此影響を蒙り、今や、世界を挙げて不況不安に呻吟するに至った。
　此世界的の苦難より免れんと焦慮する列国は、競うて理想主義的国際協調を棄て、現実に即する国家主義に趨り、為めに大戦後暫く世界を支配せし平和機構の破綻となり、世界を挙げて政治及び経済的の泥仕合を現出し、主要列強を中心として、利害を同じうする国々を以て結成するブロックの対立とはなったのである。此間皇国亦其の渦中に捲き込まれたのであるが、却てこれによって不良なる企業を清算し、産業の合理化を行う等、将来への飛躍を準備しつつあったのである。
　偶々極東の風雲急を告げ、満洲事変突発し、支那の排日貨の為め新市場獲得の必要に迫られたのと円価暴落に起因し、皇国商品は支那を除く全世界の市場に怒涛の如く流出するに至り、皇国未曾有の貿易時代を現出した。一方満洲国の出現と共に、皇国の東亜に於ける地歩確立し、日満提携の結果は両国の前途に洋々たる希望を輝かしむることとなったのである。
　これが為経済不況に呻吟し、国際政局不安に懊悩する列強は、等しく皇国貿易の進展を嫉視し、その政治的勢力の擡頭に不安を抱くに至り、各種の手段により我が政治的、経済的の躍進に対し圧迫を加え来ったのである。
　現在の情勢を以て推移せんか、経済的には遂に皇国の商品は到る処の市場より駆逐せられ、皇国移民は到る処締出しを喰い、政治的には遂に孤立無援となり、第二の独国の運命に陥るの虞無しといい得ない。

三五・六年の危機

　皇国は更に上述の危機の前衛戦とも称すべき所謂一九三五—六年の危機に直面している。明年開催せらるべき海軍会議においては、皇国は如何なる犠牲を払うとも絶対に国防自主権を獲得するを要し断じて従来の如き比率主義の条約を甘受することは出来ない。
　既に述べたる如く、国防は国家生成発展の基本的活力作用であり従って絶対的のものであって、断じて他国の干渉を許容するものでない。比率を強要せらるる如きは独立国の面目上よりするも断じて許容し得べからざるものである。更にわが海軍の消長は、所謂太平洋問題の解決及対支政策の成敗を意味する。
　その理由は茲にするの遑を有しないが、約言すれば、米国が皇国に対し絶対優勢の海軍を保持せんとするは、皇国海軍を撃滅し得べき可能性ある実力を備え、これによって米国の対支政策を支援し強行せんが為めである。右は臆説でも何でもない。エベリー提督は左の如く公言して居るのである「モンロー主義擁護の為めには、防勢海軍で足りるが、支那の門戸開放主義遂行の為めには攻勢的海軍を必要とす」と。

支那の態度

　支那亦伝統的以夷征夷の策を棄てず、又皇国の極東平和に貢献せんとする真意を解せず、常に列強の力を借り皇国を排撃せんとするの政策を採り来っている。其の最なるものは連盟に哀訴して満洲事変を解決せんとしたことである。
　今や連盟の無力は全世界の定評であり、支那亦頼むに足らぬことを自覚し、列強の利用は結局において支那分割又は国際管理への道程に外ならぬと云うことが、漸く一部に了解せられ真に日支提携を希望するの識者も現れつつある。誠に極東平和の為め慶賀すべきことである。が、然し、一方依然所謂欧米派なるものもあって、皇国の所謂一九三五—六年の危機に乗じ、満洲の奪回を企図し、或は皇国の東亜における政治的地歩の転落を策謀すると伝えられて居る。
　此の如き策動は、究局に於て、支那の前途を誤り、極東を混乱に導くものであって、皇国の断じて容認せざる所、而して右の如き策動は、皇国の海軍力が米海軍力に圧倒せらるるか否かによって、或は強く主張せられ、或は然らざることは、過去の海軍軍縮会議に於て、皇国が英米の威圧を蒙れる都度、支那に排日運動が起り、其都度出兵を余儀なくされたのに鑑みるも明瞭である。
　従って今回の海軍会議に於て皇国の主張が貫徹するか否かは、延いて支那今後の対日動向決定の指針となるべく極東平和の確立するか否かは、一に懸って会議の成果如何に在りと謂うべきである。

委任統治権保存

　明年三月を以て愈々皇国の連盟脱退は効力を発生する。満洲事変干与によって鼎の軽重を問われたる連盟は、今や本問題に深入りすることを欲せず、従って支那側は恒例によって策動するとしても大なる反響なからんと観察せられるが、本件に関連して委任統治問題の上程を見ることがないとは保障されない。
　抑々委任統治は平和会議の際旧連合国側大国会議に於て決定したものであって、連盟から委任せられたものではない。従って脱退するとも皇国は之を永久に保有すべき法理的根拠があり、万一之が奪還を企図するものあるも、実力を以ても之が排撃すべきは当然のことである。従って委任統治問題に関しては、皇国に決意ある限り何等懸念の要なきものと考えられる

蘇連の極東政策

　次は蘇国との関係に就て一言する。蘇国の近情と皇国との関係に就ては既に「近代国防より見たる蘇連邦」に詳述して置いたから茲には再説しない。要するに一九三七年を以て其の第二次五年計画が完成する。又、皇国及支那を除く近隣諸邦とは悉く不侵略国定義条約を締結し、世界の視聴を集めた連盟加入は遂に実現を見、又昨今東欧ロカルノ条約の締結を策しつつある。斯くして愈々西方に対する彼の不安は軽減し、今や全力を挙げて極東政策遂行に向って邁進し来らんとしつつあるのである。
　既に世人周知の如く、彼は一億六千万の人口に対し、七十六個師団百三十万の兵力を三千機の飛行機を装備して居る。我は満洲国を合し人口一億二千万人なるに対して国防兵力は満洲国軍を合するも僅か三十万人、飛行機千機内外に過ぎない。而して赤軍は更に一九三七年迄には如何なる陣容を整うるか逆睹し難いものがある。又極東には既に二十数万の兵員、六百機の飛行機、一千台の戦車(装中自動車を含む)と二十隻内外の潜水艦とを集中し、国境には一連の近代的永久築城を設備し鋭意戦備の充実を図りつつある。(二十数万と言えば日露戦役沙河会戦に於ける露軍総兵力に匹敵する兵力である)
　最近頻々として蘇満国境に不法事件発生し、更に我が特務機関襲撃、鉄道破壊の陰謀を企図する等傍若無人の態度に出で、一方自国民に対しては、皇軍の無力を宣伝し、必勝信念の附与に努むる等、彼等の真意の那辺に存するかを窺わしむに足るものがある。
　皇国は今にして、此の強大なる赤軍に応酬するの兵力装備、就中空軍の力を充実するにあらずんば他日噬臍の悔を胎す虞なきを保し難い。就中在満兵力の充実を必要とすることは論議の余地なき所である。

非常時克服対策

　皇国を繞る国際情勢は、一九三五年の海軍会議に於いて、英米と正面衝突を惹起する可能性があり或は会議の決裂となって異常の緊張を示すかも知れないが、此の難関こそは、実に皇国将来の浮沈と極東平和の成否とを決定する分岐点なるを以て、国防安全感を満足せしむ可き海軍側の自主的国防の要求に対しては、如何なる犠牲を払っても之れを充実し、以て、来らんとする国際危機に応ずべき決意を必要とする。
　次に蘇国が全力を挙げ極東経営に邁進し来ることは、我が対満政策に重大なる影響を及ぼすべく、事態によっては何時自衛上必要手段を取るを要する事態が発生するかも知れない。右は極力回避すべきであるが、彼にして挑戦し来るに於いては、断乎之れを排撃するの用意が必要である。之れが為め陸軍装備の充実並に空軍の拡充は喫緊であり、海軍問題と共に国防上絶対不可欠の要求である。
　次は英国その他に対する貿易戦である。ブロック経済政策は今後愈々深刻化すべく、欧米における経済上の行詰りを極東において解決せんとして、列強が支那市場に殺到し来ることも予想せねばならぬ。是に於てか吾人は全く個人の利害を超越し、真の挙国一致を以て経済及び貿易統制政策を断行し併せて新市場の獲得、支那における旧市場の回復を図り、以って危機を突破すべき対策を講ぜねばならぬ。
　之を要するに、現下の非常時局は、協調的外交工作のみによって解消せしめ得る如き派生的の事態ではなく、大戦後世界各国の絶大なる努力にも拘らず、運命的に出現した世界的非常時であり、又満洲事変と連盟脱退とを契機として皇国に向って与えられた光栄ある試練の非常時である。吾人は偸安姑息の回避解消策により一時を糊塗するが如き態度は須らく之を厳戒し、与えられた運命を甘受して此機会に於て国家百年の大計を樹立するの決意と勇気とがなくてはならぬ。

其一国防の組織

　輓近学芸の進歩発達の結果、国際生存競争としての戦争の方式は極めて科学的、組織的となりつつある。就中、思想戦、経済戦、武力戦に於て然りである。
　之を端的に表現すれば、将来の国際的抗争は智能と智能との競争であり、組織と組織との争闘であると謂い得る。従って、勝利の栄冠は対手方に優る創意と組織とを有する者に与えられるとも言い得るであろう。
　是に於てか、国防国策とは国家の有する国防要素をば国防目的の為めに組織運営する政策であると約言し得るのである。
　而して国防要素に就ては既に述べた通りであるが、之が運営上よりすれば、政略、思想、武力、経済の諸部門に分類する事が出来る国防要素の組織運営に就ては、世上諸説紛々たるものがあるが、其最も妥当なりと考えらるるものを左に掲げることにする。

其二国防と国内問題

一、国民生活の安定
　人的要素を充実培養し、挙国一致の実を挙げんが為めには、国民全部をして斉しく慶福を享有せしめねばならぬ。
　国民の一部のみが経済上の利益特に不労所得を享有し、国民の大部が塗炭の苦しみを嘗め、延いては階級的対立を生ずる如き事実ありとせば、一般国策上は勿論国防上の見地よりして看過し得る問題である。
　之が為め国民が等しく利己的個人主義的経済観念より脱却し、道義に基く全体的経済観念に覚醒し、速かに皇国の理想実現に適合する如き経済機構の樹立に邁進することが望ましい。従って苟くも志ある士は、其学者たると実業家たると将又朝に在ると野に在るとを問わず、挙国一致其対策を攻究し、之が実現を企図せねばならぬ。国民生活に対し現下最大の問題は農山漁村の匡救である。
二、農山漁村の更生
　現在農村窮迫の原因は世上種々述べられて居るが、今其主なるものを列挙すれば

1、農産物価格の不当並びに不安定
2、生産品配給制度の不備
3、農業経営法の欠陥と過剰労力利用の不適切
4、小作問題
5、公租公課等の農村負担の過重と負債の増加
6、肥料の不廉
7、農村金融の不備(資本の都市集中)
8、繭、絹糸価格の暴落
9、旱、水、風、雪、虫害等自然的災害
10、農村に於ける誤れる卑農思想と中堅人物の欠乏
11、限度ある耕地に対する人口の過剰等

　以上の如き諸原因は、彼此交錯して、現時の如き農村の窮迫を来して居るのであるが、此等原因の大半は都市と農村との対立に帰納せらる。
　斯るが故に、窮迫せる農村を救済せんが為には、社会政策的対策は固より緊要であるが、都市と農村との相互依存と国民共存共栄の全体観とに基き、経済機構の改善、人口問題の解決等根本的の対策を講ずることが必要であり、農村自身の自律的なる勤労心と、創造力の強化発展と相俟って、農村が真底より更生せんことを希望して已まない。
三、創意、発明の組織
　本件は国策上重要なること勿論であるが、国防上の見地よりして、経済的にも武力的にも極めて重要なる意義を有することは既に述べた如く将来戦が創意と智能との争闘たることによって明瞭であると思う。
　之が為め創意、発明に関する国家の全能力を動員し、之を科学的に組織し、其の最大能率を発揮せしむることが望ましい。之が為め

1、科学的研究機関を統制し、合理化し、其能率を向上し、経費を節約し、利用に便ならしむ。
2、発明を奨励し、資金供給、研究機関の利用の道を拓き特許制度に改善を加う。

等の施設が必要であろう。

其三国防と思想

思想戦が国防上如何に重要なる役割を演ずべきかは既に述べた通りである、而して之が基礎たるべきものは、人的要素即ち精神力体力の充実である、之が為学校及社会教育に於て、其の陶冶を行うと共に、一方社会上の欠陥是正、経済組織の整調と相俟って、国民生活の安定、農村更生救済等を図り民力の培養を策することが必要である、国防上の見地より思想戦対策として考慮すべき要件を掲げれば左の如くである

一、国民教化の振興
1　肇国の理想、皇国の使命に関する深き認識と確乎たる信念とを把持せしめ、皇国内外に瀰漫せる不穏、過激なる如何なる思想に対して、寸毫も動揺することなき堅確なる国家観念と道義観念とを確立せしむること
2　国家及全体の為め、自己滅却の崇高なる犠牲的精神を涵養し国家を無視し、国家の必要とする統制を忌避し、国家の利益に反する如き行動に出でんとする極端なる国際主義、利己主義、個人主義的思想を芟除すること
3　質実剛健の気風を養成し、頽廃的気分を一掃すること
4　世界の現状、国際情勢に通暁し、日本の世界的地位を十分認識せしむること
5　民族特有の文化を顕揚し、泰西文物の無批判的吸収を防止すること
6　智育偏重の教育を改め訓育を重観し且つ実務的、実際的教育を主とすること
7　国民体育の向上を図ること
二、思想戦体系の整備
　思想、宣伝戦の中枢機関として宣伝省又は情報局の如き国家機関が平時より必要なることは縷説するまでもない、此種機関の実例を見るに世界大戦に於ては、相当大規模な工作を以て、所謂プロパガンダ(宣伝)の名に於て、近代的一戦争手段たる思想戦が出現した此のプロパガンダ戦線の勇将は、英国のノースクリッフ卿、ドイツルーデンドルフ将軍、米国に於ては大統領ウィルソン自らであった
　戦争の中期より末期にかけて、恐るべきプロパガンダ戦の力は、敵国戦線の後方は固より、その国内の主要都市、国民の台所にまで猛威を揮って、遂にドイツ側は、この威力の前に崩壊するに至ったそれが武力戦及び経済封鎖戦と相関連して行われたことは、勿論であるが、プロパガンダ戦夫れ自体として、独自の立場に立って、活力を発揮したことは見逃すべからざることである
▲英国　は世界大戦勃発直後、一九一四年八月、平時からあった宣伝事業を拡張して新聞局を設置し、一九一七年一月には別に情報局が設けられ、宣伝事業を一括して活動を開始するに至った、次でノースクリッフ卿外三名を以て成る顧問委員が組織せられ、ノースフリッフは自ら宣伝及び政略関係の使命を帯びて米国に渡り、大いに活動するところがあったが、一九一八年の二月に至り、情報省が設置せられ、ヒーバーブルック氏が情報大臣の椅子を占め、ノースクリッフ卿は敵国宣伝部長の職に就いた、其後曲折を経て、ノースクリッフ卿が宣伝政策委員会の全指導を行うことになった
▲米国　は一九一七年四月世界大戦に参加後、大統領ウィルソンにより公報委員会を組織した、この組織は、国務長官、陸軍大臣、海軍大臣並にジョジージクリール氏を以て編成せられ、クリールが右公報委員会の議長となって、対内、対外宣伝事業の一切を統括した
▲仏国　では外務、陸軍、海軍の各省が夫々宣伝機関を持って、互に協調しつつ宣伝を実施した
▲独逸　に在っては、大戦間の宣伝は、最初、不統制のまま一の宣伝用機関紙を利用するに過ぎなかったが、軍事当局と、各省間に幾多の抗争曲折が繰り返された後、ルーデンドルフの提唱に依り、一九一八年八月に至って、漸く宣伝組織を設置することが出来たけれども、時既に遅く、連合国側の猛烈なる宣伝に困り遂に一敗地に塗るの已むなきに立ち至った
　然るに我が国における識者中思想観念の認識充分ならざるもの多きは頗る遺憾とする所である、蘇連邦の組織ある赤化宣伝工作の為め、如何に我が国上下を挙げて苦悩せしか、又満洲事変を通じて宣伝機関の不備のため如何に惨憺たる苦杯を甞めたるか、又現下の貿易経済戦において列国の宣伝戦のため皇国が如何に不利なる立場に置かれているか、是等を考うるとき、平戦両時を通じての思想戦体系整備の急務なることは論議の余地はない、要は速かに之が実現を図るに在る

其四国防と武力

　武力戦の主体は軍備である。抑々軍備には消極的に国防目的を達成するに必要なる最少限度の武力と、積極的に目的を達成せんが為め要すべき武力とに分れる。而して前者は国策、領土の広狭、地理的位置等の関係より、自主的に決定し得べきものであり、後者は国際情勢に応じて変化すべきものである。
　現在我が陸軍の保有する軍備は上述の消極的国防に必要なる最少限度のものであり、大戦直後、蘇国の軍備薄弱なりし時代においては、これを以て東亜平和維持の静的目的を達成し得たのであるが、満洲事変に伴う国防第一線の拡大により皇国に三倍する領域の治安維持を負担することとなり、消極的国防の見地においてすら既に軍備の不十分を感ずるに至った。
　加うるに蘇国の所謂五箇年計画実施の結果、世界最大の軍備を保有するに至り、特に着々として極東に軍備を充実しつつあることと蘇満国境の絶えざる紛争、更に両者間に蟠まれる幾多の案件は、最近募り来れる蘇国の挑戦的態度と常習的不信なる態度と相俟って日蘇関係の今後の推移は逆睹し難き情勢に在る。従って如何なる情勢の変化に遭遇するも支障なからしむべき兵力、装備の充実は、時局対策として最も重要なるものの一であらねばならぬ。
　この兵力装備の具体的数字を掲ぐる自由を持たないが、主要列強の軍備を比較し、国際情勢の急迫せる状態を考察せば、皇国兵力装備の充分ならざることは充分了解し得ると信ずる。(後掲の主要列強陸軍兵力一覧表並附録第二の独国国防雑誌所載列国軍備の表参照)
　近代軍備において航空機の有する価値の絶大なることは今更述べるまでもない。而して、蘇の飛行機三千機、米の三千機、支の五百機を合計すれば、我を囲繞する列強の空中勢力は実に六千機を突破するの状況である。
　外交政略と相俟って対手国を一ヶ国に制限する場合においても、最少限三千機の仮想敵空中勢力を予察せねばなるまい。然る場合僅か一千機内外の陸軍航空兵力を以て果して国防全しと称し得べきか否か。航空兵力は勿論軍事航空が主体であるが、民間航空は直に戦争に流用し得べきものであるが故に、之を度外視して空中国防を論ずるは無意味である。此見地において、我が民間航空の現状如何を見るに、軍事航空の劣勢に劣ること更に更に数等、到底列強の夫れに比すべくもないのである。(附録第一列国航空事業現勢比較の表参照)
　思うて茲に至れば慄然たらざるを得ない。最近民間航空大拡張の企図あるかに仄聞する。誠に慶賀の至りに堪えない。冀わくば、一刻も速かに空中国防の欠陥を充足し、国防上些の遺憾なからしめんことを。又重要都市防空の為め施設の必要があるか、飛行機に対する絶対の防禦は飛行機を以て、敵機を墜し或は其の根拠地を覆滅するに在る。此意味よりしても空中勢力の充実を企図することが急務である。

[図表(列強陸軍兵力一覧表)あり省略]

其五国防と経済

一、経済の整調
現経済機構が、わが国の経済的発展に、大なる貢献を為したることは認めねばならぬ。然し国家的全体観特に国防の観点より見て左の如き改善整調の余地ありといわれて居る。

1、現機構は個人主義を基調として発達したものであるが、その反面に於いて動もすれば、経済活動が、個人の利益と恣意とに放任せられんとする傾きがあり従って必ずしも国家国民全般の利益と一致しないことがある。
2、自由競争激化の結果、排他的思想を醸成し、階級対立観念を醸成するの虞がある。
3、富の偏在、国民大衆の貧困、失業、中小産業者農民等の凋落等を来し、国民生活の安定も庶幾し得ない憾がある。
4、現機構は、国家的統制力小なるため、資源開発、産業振興、貿易促進等に全能力を動員して一元的運用を為すに便ならず、又国家予算に甚だしき制限を受け、国防上絶対に必要とする施設すら之れを実現し得ざる状態に在る。

現経済機構の変改是正の方案に対しては種々の意見があるが、国防上の見地よりしては、左記の如き事項が挙げられて居る

1建国の理想に基き、道義的経済観念に立脚し、国家の発展と国民全部の慶福とを増進するものなること。
2、国民全部の活動を促進し、勤労に応ずる所得を得しめ、国民大衆の生活安定を齎すものなること。
3、資源開発、産業振興、貿易の促進、国防施設の充備に遺憾なからしむる如く、金融の諸制度並に産業の運営を改善すること
4、国家の要求に反せざる限り、個人の創意と企業慾とを満足せしめ益々勤労心を振興せしむること。

二、戦時経済の確立
　経済戦は、既に平時状態に於ても開始せられつつあることは既に述べた通りである。戦時状態において武力戦と併起する場合、その激甚性は最高度に達すること勿論である。その場合の経済統制を如何に実施するかは、国防上重要なる問題である。
　二十世紀初頭までの間における各戦争を観察するに、国を挙げて交戦の事に従った場合に於ても、比較的交戦兵力、軍需品の需要が寡少であって、国民経済の全般に亘り特別の変動を与うることはなかった。然るに、世界大戦は全く従来とその趣を異にして居る。即ち軍需品の需要が未曾有の膨張をなした。
　一面交戦国と外部との通商交通は、著るしく阻害せられ、甚しき場合には全く封鎖状態に陥るを以て、軍需品は勿論国民生活必需品に至るまで、海外よりの資源の輸入は杜絶せらるるのみでなく、自国輸出産業の販路も、全く閉塞され、平常時における世界経済の紐帯は全く切断せらるることとなった。故に戦時不足すべき資源を適時充足する如く平時において準備を整うると共に、一旦緩急の暁には、国家は莫大なる軍需品の需要を充たすと共に、国民の経済生活維持の為め、経済の全般就中国防産業、運輸、通信及び国民経済生活に対して、相当徹底して統制を行うの必要がある。その結果経済組織に対しても少からざる臨時変更を生ずることとなる。
　之れを世界大戦の実例に徴するに、列強より封鎖せられたるドイツが、食糧軍需資源の輸入杜絶により、著るしき困難を嘗めたるは勿論、過剰生産品の輸出販路を失い、為めに国家経済が窮地に陥った事は周知の事実である。
　又ドイツの潜水艦封鎖の脅威を受けながらも、兎も角世界経済との関連を保持せし英国に於いてすら、砂糖、小麦、肉類等の不足を生じ、又棉花輸入困難の結果はランカシャ綿業廃止を余儀なくせらるる等、国民経済に致命的影響を蒙ったことは枚挙に遑がない。されば交戦諸国は資源、食糧の不足を補うため、その生産及び輸入に対して強度の保護奨励策を採るは勿論、中には国家自らその一部を経営するものすらあった。極端なる自由主義を標榜せし英国においてすら、農地の強制耕作、製粉工場の政府管理、小麦、砂糖及び肉類の輪入及び配給事業の政府直営等を実施し、又ランカシャ綿業の危機を救わんが為、政府は在荷棉花の公平なる分配、操業の調整、失業救済等に対し積極的統制を実施している。又交戦時は殆んど例外なく国民の消費にまで干渉し、或はパン、肉、砂糖等の食糧品を始めとし各種燃料及び衣服に対しても標準消費量又は日量を定め、切符制度により之れが配給を実施している。又一方国家は戦争の為め打撃を蒙れる一般国民並に特殊産業の資本家及び労働者に対して救済を講じ、又戦禍の為め生業を失える者に対する対策を必要とするに至っている。
　此の如き世界大戦の経験は、将来戦において戦時経済を如何に準備すべきかを暗示するものである而してこれ等の準備なき国家は、多大の困難を感ずるのみならず、往々これが為め敗戦を招来するかも測り難い。故に平時より官民力を載せこれが準備を完成するの必要がある。而してその準備すべき要点としては、戦時不足資源関係企業の奨励、不足資源の貯蔵、代用品の研究、戦時海外資源の取得計画、平時これを利用する国防産業の実行促進、過剰生産品の輸出対策、戦時財政金融対策、貿易対策、労働対策等、相当広範囲に亘り、予め研究準備を遂げ、開戦の暁において些の遅滞なく、統制ある戦時経済の運用に移らなければならない。

国民の覚悟

　以上は、国防国策として速かに実現を要すと一般に考えられある事項の若干を掲げたに過ぎない。素より国防は、国家の生成発展に関する限り国策の全般に亘るが故に、本書に述べた以外に考慮すべき要件の多々ある事は勿論である
　皇国は今や駸々乎たる躍進を遂げつつある、一方列強の重圧は刻々と加重しつつある。
　この有史以来の国難—併しそれは皇国が永遠に繁栄するか否かの光栄ある国家的試練である—を突破し光輝ある三千年の歴史に、一段の光彩を添うることは、昭和聖代に生を稟けた国民の責務であり、喜悦である。冀くは、全国民が国防の何物たるかを了解し、新なる国防本位の各種機構を創造運営し見事に危局を克服し、日本精神の高調拡充と世界恒久平和の確立に向って邁進せんことを。(完)

データ作成:2015.8 神戸大学附属図書館

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