「昭和」を送る　　　　中井久夫

私がこの一文を長く単行本に収録する気力を失っていたのは、その後世に出た次の二文章によってである。

　

略

　第二は、佐伯裕子『影たちの住む国』(北冬社)に引用されている『入江相政日記』の一説である。A級戦犯の判決が出た日の午後三時、入江侍従は、死刑が一名を除き、武官のみであったことを知って喜び、宮中にぶどう酒一瓶をたずさえて、かけつけ、その夜は宴会のようになった。絞首刑になった土肥原賢二大将を祖父とする佐伯裕子は、この条を深い悲しみをもって引いているが、親しかった「兄」のような一族の一人を、マーシャルで「エンタープライズ」に体当たりしそこねて失い、いま一人をレイテで失い、敗戦時に割腹自殺した大叔父を持つ私は、保元平治のとき、公卿たちが北面の武士を虫けら同様に扱っていたことを思い合せた。しかし、天皇がこの宴に加わっていたとしたら、天皇は私には許容しえない一線を一夕は越えたことになる。

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